“生きがい”も”お金”も諦めない、
全国平均の5倍もの賃金を実現するまで。

  • 田辺義明さん

  • 2022.03.07

「福祉と私」は、福祉の現場でさまざまな取り組みを実践している人たちが、それぞれの立場から福祉を語る連載です。

今回私たちが訪れた場所は、福井県越前市にある「ぴーぷるファン」。穏やかな住宅街の中に建つ同園では、3つの障害福祉サービス事業所(定員80人)とカフェ店舗、グループホームを運営しています。

現在、就職が困難な障害を持つ人に仕事の場を提供する「就労継続支援B型事業所」の平均工賃は月額15,776 円。しかし「ぴーぷるファン」では全国平均の5倍以上の工賃を実現しています。その取り組みの裏側について、施設長の田辺義明さんに伺いました。

障がい者もちゃんと稼ぐことができる社会を目指す

ーー田辺さんが福祉の世界に入ったのはいつでしょうか。

大学卒業後、すぐですね。就職しようにも仕事がなかったのですが、武生市(現越前市)にできたばかりの国高診療所で臨時雇いとしていれてもらったんです。午前中は医療事務、午後からは障がい者のリハビリの手伝いや保健師さんと一緒に乳幼児検診の手伝いをしていました。そして1年も経たないうちに、市の福祉課から障がい者が通う授産施設を作りたいと言われたんです。

ーーいわゆる就労支援施設ですね。

それまで障がい者は養護学校や特別支援学校を卒業しても行き場がなかったんです。親御さんがわざわざスペースを借りて、そこで箱作りなどの内職をさせていることもよくありました。市の担当者は「とりあえず障がい者の行き場になる施設があればいい」と言ったのですが、私は「行き場だけ作るのではなく、障がい者の将来のことまで考えるべきだ」と猛反対してね。そしたらお前がやれと言われたんです(笑)。

ーーそれで引き受けることにしたんですね。

どうせやるなら「障がいがあっても自分たちで自由なお金が使えるくらい稼げるようになろう」って思いましたね。でも当時、障がい者の工賃は月に3000円くらい。例えば1個箱を組み立てて1円20銭とか、そんな世界でした。早くそういう仕事から脱却しなければと思い、全国を回りながらいろんな会社を見学させてもらったんです。すると、障がいがあっても技術を活かせる仕事がたくさんあることがわかりました。

例えば、ミシンでまっすぐ縫うと10円の工賃が入りますが、さらに3回直線縫いをしてひっくり返せば座布団が作れるようになり、工賃が一気に上がります。実際に名古屋にある縫製工場に見学に行くと、ほとんどが直線縫いで完結する仕事ばかりでした。これなら障がいがあってもできるし、私たちの方が安価で受けられる。そこで営業をかけたところ、保育園や幼稚園で使う袋の縫製の仕事が舞い込み、いきなり200万円の売り上げになりました。

ーーすごい。今までの1円や何十銭の仕事と桁が違いますね。

これまでのような内職仕事では稼げる工賃に限界がある。そこで縫製や食品加工などあらゆることにチャレンジしてきました。お祭り会場に店を出して自分たちが作ったものを販売し、ポップコーンの機械を入れて1ヶ月で400万円売り上げたこともありましたね。

わからないこともとにかく手探りです。例えば、国で唯一の環境ラベルである「エコマーク」がついたバッグを作った時は、エコマークの認定を取得するために電力会社を巻き込みながら膨大な資料を作成しました。我々のような小さな事業者でそこまでやるところは珍しかったと思いますが、その商品だけで1年間で3000万円の売り上げをあげることができたんです。いいものさえ作ることができたら必ず売れるんだなと思いましたね。売れた分はもちろん利用者に工賃として還元します。それでも余ってしまうので、みんなで旅行に行ったり、車を買ったりしていました。

穏やかな感情を育てる施設

ーー「ぴーぷるファン」はどのような経緯でできたのでしょうか。

2005年くらいに、当時の越前市長から知的障がい者のための新たな施設を作ってくれという話がありました。例えば精神障がいと知的障がい、身体障がいと知的障がいなど、重複した障がいを持っている人が利用できるような施設がなかったのです。そこで、もともと保養施設として使われていた場所を改装し、80人ほどの障がい者が利用できる「ぴーぷるファン」を2007年に立ち上げました。今では3つの事業所がありますが、いずれも平均月7〜8万円の工賃をキープしています。

ーー高い工賃を実現するには、自分たちで仕事を生み出すだけではなく、ちゃんといいものを作っていかなければならない。それは健常者であっても難しいことだと思うのですが、「ぴーぷるファン」ではどのような工夫があるのでしょうか

高工賃を実現することに越したことはないのですが、一番に目指してきたことは障がい者の「ワークライフバランス」です。いきいきと働くためにはバランスのいい生活でなければならないと常々考えていました。

そこで私たちがやったのは、感情を育成することです。「五感に刺激を与えて育てると広く穏やかな感情になる」という福井大学の永谷先生の話を聞き、利用者のみなさんに絵や陶芸をはじめてもらったところ、爆発的な感情で物を投げたりたたいたり人を傷つけたりすることがまったくなくなったのです。

そこから私たちの実験が始まりました。美味しい、嬉しい、悔しいといった喜怒哀楽の感情を通して、やる気と生きる意欲を育むようなさまざまな取り組みを事業所で行うことにしました。

働く時間が減っても結果を残せる理由

ーー具体的にはどんな取り組みを行っているのでしょうか。

例えば、土曜日は必ず開所していますが、仕事ではなく料理や運動、文化芸術などの活動を療養プログラムとして行っています。土曜日だけでは足りず、平日も1、2日は仕事をやめて、施設の外に出ていくことにしました。東尋坊に行ったり、桜の季節には近くの公園を歩いたり、冬はみんなでボーリングをしたり…。年1回は利用者みんなで旅行にも行き、沖縄や北海道など全国各地を訪れています。

ーー仕事をする時間を減らしてもちゃんと結果を残していることに驚きです

平均すると月18日くらいしか働いていないですね(笑)。でもさまざまな活動を通して感情が豊かになっていくと、「今度は○○に遊びに行くから、それまでにこの仕事をやってしまおう」と利用者のみなさんから声があがってくるようになったんです。

「ぴーぷるファン」では、食品加工や縫製など仕事内容によって利用者が数名でグループを組んでいます。グループの誰かが「今度は沖縄に行きたいね」と言うと、「そのためにはしっかり働かないと」「いい商品をつくらないと」という声が勝手に出るようになりました。職員がいなくても、知的障がい者のグループだけでリーダーや副リーダーが育ち、自分たちで学習してどうすればいいかを考えるようになるんです。グループ内には障がいの重い人も軽い人ももちろんいますが、グループの中でその人に適した役割を任されているので、みんなすごくやる気なんです。「いい商品をつくりたいから、ここに機械を入れた方がいい」ってね。私たちは利用者に必要な技術は何かを見極めてサポートするだけです。

ーー作業場には大きな機械も多いですね。

そうですね、数百万から一千万以上の機械も入れています。補助金も利用しますが、間に合わない場合は自分たちで借金してでも入れるようにしています。

私は障がいのせいでできないことは訓練しなくていいと思っているんですよ。人はできることとできないことの間に苦手なことがある。でも障害はちょっと違って、訓練したからできるわけではありません。時計が読めない、計算ができない、それを「やればできる」と言われ続けると辛い訓練にしかならないのです。障がい者にとって「やればできる」と言う言葉がどれだけ傷つけられるか…。「いつまで訓練するの?」と利用者に言われた時のことを思い出すと、今でも胸が苦しくなります。

 

仕事って辛く苦しいことだけがすべてじゃないと思っています。健常者が機械のボタンを押すだけで完結する仕事があるのなら、障がい者だってボタンを押すだけの仕事があったっていい。みんながイキイキと働くことができればという願いで惜しみなく必要な設備を入れています。

障がいを個性ととらえると、自分の居場所が生まれ、表情が生まれます。見学に来た方から「なぜここではみんな活気があるのか」と言ってくださるのですが、私はそれがすべての答えだと思っています。

障がい者の可能性はもっと広げることができる

ーー自分たちで自由に使えるお金を稼ぐことで、利用者や周りの方にどんな変化がありましたか?

これまでひと月働いても1万円そこそこだった利用者が、5万円以上稼いで帰ってくると、家の中での地位が確実に変わります。親御さんが「ごくろうさん」と言ってくれるようになった、家族が施設のイベントにも協力的になったなど、さまざまな声を聞くようになりましたね。

また、療養プログラムとして土曜日に行っていた活動も、取り組んでいるうちにもっと深めたいと技術を磨くようになりました。趣味で絵を描くようになった利用者は、絵の具を買うことが仕事のモチベーションになっていますし、施設で行うボーリング大会のためにマイシューズ、マイボールで親御さんと一緒に練習する利用者もいると聞いています。料理や弁論など各種スキルコンテストに出場したり、スポーツの分野では選手として毎年2人くらい国体にでる利用者もいるんですよ。

仕事以外にも何かに打ち込めるくらいお金を稼いで生活を安定させることができれば、将来自立して結婚や子育てもできる。障がい者の可能性はどんどん広がると思っています。

ーー今の状態をつくるまでには大変なこともあったかと思います。田辺さんが40年以上も福祉の仕事を続けてこられたのはなぜなのでしょうか?

ある時、修学旅行に行っていないという利用者がいたんです。理由を聞いてみたら、学校から来るなと言われたと。障がいがあるために歩くのが遅くて学校側では対応できないという理由だったそうです。それならみんなで今から行けばいいと利用者を連れて京都・奈良に行ったことがありました。

また、ある時は「嫌な思いをするだけだよ」と親に言われて、成人式に参加できなかった利用者もいました。毎年こんな思いをする人がいるのなら、障がい者だけで成人式をやろうと結婚式場を借りてみんなで着飾ってお祝いすることも毎年続いています。

障がいがあるためにあきらめなければならない。そんな世の中の不合理を何とかしたいという思いがこれまでの糧になっていたのだと思っています。

ーーこれから田辺さんが目指す福祉の姿を教えてください

今、この施設では作業場を拡大するための工事を行っています。今後はこの場所でお茶を飲めるようなスペースも作りたいですね。今まで障がい者が利用する施設だったのが、誰もが敷居を感じることなくふらっと遊びに来れるような風景が当たり前になればと思っています。規模が大きくなっていくのは少し怖い気持ちもありますが、「あそこで働きたい」と思ってもらえるような施設が作れると嬉しいですね。

福祉の分野ではまだまだ相談に乗れる場所が少ないと思っています。私はこれまで「自分のやっていることは福祉のど真ん中の仕事だ」と思っていましたが、障がいのある人、生活に困窮している人、教育サービスを受けられない子どもなど、福祉の分野に垣根はありません。今、越前市に19の社会福祉法人がありますが、これからもまちの人たちと手を携えながら、正規の福祉サービスからこぼれていることにも取り組んでいく必要があると思っています。できることからですけどね。

あなたにとって福祉とは

Profile

  • 田辺義明さん
    社会福祉法人北日野こもれび会 ぴーぷるファン施設長

    社会福祉法人北日野こもれび会 ぴーぷるファン施設長。クリエイティブなアイディアと行動力で、一月50,000円以上の工賃を実現。2021年には「県社会福祉功労者」として福井県から表彰される。https://www.peoplefun.jp/

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